ぶっくま

あさのが読んだ本の備忘録

我が手の太陽

 この物語の主人公は職人。勤める会社のエースを自他ともに認められる溶接の熟練工だ。プラントなどの現場に出向き、普段、人が目にすることがないような巨大な鋼管を繋ぎ合わせる。 手元で弾ける灼熱の光、高熱下で溶けオレンジ色に光る鋼の池。溶接による接合が最強だからこそ求められる職人。しかし、溶けた金属を吸い込む職業病や少し心の乱れが影響を及ぼす不良率。一線に留まり続けるには強靭な胆力が要る。

 主人公は唐突にミスを指摘される。そんなはずはない。しかし、検査の結果が全てであることは理解していた。何故だ?自分はどうしたのだろうか?揺らいでいく自信。自分に対する疑心暗鬼の中で、自分の腕を証明しようとした主人公は安全義務違反を犯し謹慎処分となる。

 職業病に犯された高齢の先輩、若手を育てたいという会社の意向。長年、一線で働いてきた主人公の胸に去来する職人としての矜持と年齢という現実。自分はまだ出来る。その思いが主人公を突き動かす。

 歩んできた人生に自信と誇りを持つからこそ見えてしまう暗くて深い穴。人間という生き物の心の脆さとそこに立ち上がる人間味が鮮明に描写される。 第169回芥川賞候補作

 

 

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みつばの泉ちゃん

 泉ちゃんは小学3年生。近所のお姉さんと並んでアイスを食べながら、お姉さんに小学生の頃に好きな子がいたかと聞く。泉ちゃんには二人いて、二人から嫌われていると言う。泉ちゃんは物おじしない、ちょっとおしゃまな女の子。泉ちゃんは人を和ませる。

 泉ちゃんは期待通りに成長する。よく言えば自分を持っている、悪く言えば空気を読まない。泉ちゃんは必修活動で創作文クラブに入る。理由はじゃんけんで負けたから。それでも、クラブで出来た友達の小説を絶賛してたいそう喜ばれる。泉ちゃんは人の気持ちを動かす。

 泉ちゃんは立派に大人の階段を登る。衣料品の店でバイトをして恋をする。彼氏と別れた次の日に別の男と付き合ったりもする。でも二股はしない。それが泉ちゃんのポリシー。泉ちゃんはバイト先のホープ。泉ちゃんは人を惹きつける。

 物語は終盤まで泉ちゃんの周りの人の視点で描かれる。人の目に映る泉ちゃんは裏表がなく、心と口が直結している。それでも、吐き出される言葉には人を思いやる気持ちに溢れている。人はそんな泉ちゃんを好きにならずにはいられない。人から滲み出す出し汁のような人間味。小野寺史宜の世界。

 最後に泉ちゃんは焼肉が好き

 

 

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成瀬は天下を取りにいく

 いかついタイトル。迷いのない目をした表紙の少女。その印象だけでこの本を手に取る人も多いだろうと思う。自分もその一人だ。主人公成瀬は滋賀に住む女子中学生。同級生の友達の視点でその生き様が描かれる。生き様とは穏やかではないが、この本を読み進めればその言葉もなるほどと納得できるだろう。

 成瀬は常に自分の興味、思考に従順である。西武デパートの閉店を惜しむローカルテレビの映像に映り込むためにプロ野球のユニフォームを着て毎日現場に足を運ぶ。誰のためでもない。ただ自分がそうしたいから。友達を誘いコンビを組んでM-1にエントリーする。もちろん、自分がそうしたいから。成瀬は一見強調性に欠けるようにも見えるが、それは決して他人を下に見ているわけではなく、自分の興味に素直なだけ。気がつけば、成瀬が次に何をするのか目が離せない。

 空気が読めない人。今の世の中にはそんな人を蔑む空気感がある。この本の主人公成瀬もそういった人のカテゴリーに入るのかも知れない。しかし、自分の心に嘘をつかず真っ直ぐに前を向く姿に、思わず成瀬を応援したくなるだろう。表面的に人を見るのではなく、その人の本質を知ることが大切。愛すべき少女がそれを教えてくれる。

 

 

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ラブカは静かに弓を持つ

 主人公の青年は子供の頃にチェロを習っていた。社会人となり再び音楽教室に通いチェロを手にする。この物語の軸となっているのは現実の社会でも耳目を集めた音楽著作について。音楽教室での楽曲演奏に著作使用料を課すという問題。グレーゾーンが長い間放置され慣例化した状況を変えようとして問題が大きく報じられた。この物語の主人公は音楽教室の実態を探るための音楽著作協会のスパイだった。

 チェロという楽器が持つ深みのある音の魅力。心を揺さぶる音楽の存在感。そして、共に音楽教室に通う仲間。主人公は子供の頃に感じていたチェロの魅力を思い出し、講師や仲間との付き合いの中でさまざまな感情が芽生えていく。悪意はなく、無自覚で犯される著作権違反。調査活動の中で、主人公の心は揺さぶられ、翻弄される。

 この本は青少年読書感想文コンクールの課題図書に選定されている。現実に起きた社会問題とその現場にいる人の心の葛藤。人の心を彩る音楽という存在が核心にあるからこそ、この物語は深く考えさせられるところが多い。お金では割り切れない何か。そんなものがこの世界にはあるのだと教えられる。そして何より音楽には人の心を豊かにする力があるのだと実感する。

 

 

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街とその不確かな壁

 村上春樹の小説世界は森だ。6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』のハードカバーを開け、最初の一行を読んだ瞬間に森の中に迷い込んだ感覚を覚えた。薄暗く霧がかかったような文章の森の中をおそるおそる進んでいく。輪郭のおぼろな登場人物。謎めいた言葉と出来事。そっと置かれるユーモアと比喩。最初のページをめくる頃には、僕はすっかりその森に住民登録を済ませていた。

 物語は夢と現実の世界を行き来する。時間があったりなかったり。影があったりなかったり。二つの世界は無関係なようで、どこか深い記憶で繋がっている。どちらの世界でも主人公は図書館で仕事をする。知が集積する場所と夢の記憶。そこに何か世界の秘密が隠されているような想像に掻き立てられ、項をめくる手が止まらない。

 明瞭なテーマやメッセージはない。しかし、森の奥深くにひっそりと隠されている世界や人間の秘密の気配を追いかけずにはいられない。村上春樹が作り出す森には人を誘い込み、出口のない回廊を彷徨わせる巧妙な罠が仕掛けられている。森の住民になるのは簡単だ。本のハードカバーをめくるだけでいい。最初の一行を読めば、誰でも村上春樹の森の住民になれる。『街とその不確かな壁』は期待を裏切らないはず。

 

 

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